
世界のオーディオ・マニア達が絶大な信頼寄せるブランド“モービル・フィディリティ”。音の匠が情熱の限りを込めて生み出した大名盤シリーズがリリース決定です。本作に収められているのは、1988年にリリースされた『UDCD 517』。アナログ・マスター専門メーカーの“モービル・フィデリティ・サウンド・ラボ(MFSL)”がデジタル化したPINK FLOYDの『狂気』です。
【マスターテープ・サウンドを最重視したモービル・フィディリティ】
アナログ作品のCD化が最盛期を迎えた90年代には高音質CDが数多く登場しましたが、その中でもMFSLは別格でした。他の高音質CDは新技術によって圧縮の違和感を減らしたり、素材で読み取りエラーを減らしたりといった「デジタル劣化を抑える」発想のもの。それに対してMFSLのポリシーは「マスターテープに刻まれた音を忠実に再現し、余分なものを足したりしないこと」。磁気テープから音を引き出す段階にも目を向けた独自の“ハーフスピードマスタリング”技術を開発するなど、“アナログ録音された音そのもの”を最重視にしているのです。そんなMFSLは1987年からレコード会社からオリジナルのマスターテープを借り受け、数々の名盤を1本1本緻密にデジタル化。マスターテープの音をCDに移し替えていく“Ultradisc”シリーズをリリースして行きました。現在はSACDやLPの分野にも進出していますが、本作は90年代の前半期にCD化していたというのもポイント。磁気テープのマスターは経年劣化に弱く、時間が経てば立つほど録音当時の音が失われていく。テープが歪んだり張り付いたりといったケースもありますが、たとえ精密に保管されていたとしても磁気の消失までは防げない。現在では、マスターテープそのものより物理的な溝で記録するLPの方が音が良かった……などという事態も起こりつつあるのです。その点においても“Ultradisc”シリーズは偉業だった。CDの普及期にあった80年代から始められており、高音質を謳う新技術CDの登場よりも早くにマスターテープの音をデジタルに残したのです。
【ロック音楽の最高傑作『狂気』の本来の姿】
そうして“録音から15年”時点のマスター・サウンドを伝えてくれるのが、本作の『狂気』。その繊細にしてナチュラルなサウンドは、まさに音宇宙。後年のデジタル・リマスター盤に慣れた耳には、一瞬「地味かな?」と感じるかも知れませんが、それはダイナミズムが殊更に強調されてはいないから。あえて誤解を恐れずに言うなら、近年のデジリマ盤は3D映画。飛び出す立体感に浮かれ、その効果を見せびらかすように特徴的な音をどんどん前に押し出すように演出している。それに対し、本作は窓を開けて見た自然の風景そのもの。演出するまでもなく3次元なのが当たり前で、すべての音がわざわざ主張せずに“世界”を組み上げている。3D映画はパッと観た時に「おぉ、飛び出す!」とは思っても、観ているウチに不自然さに疲れて結局は2D映画の方がいいや……ともなりかねない。それに対し、本作は現実の三次元の音宇宙に漂い、いつまでも没入していられる。例えば、「Us And Them」のハイライト・パート。リズム隊もコーラスも盛大に盛り上がるわけですが、デジリマ盤は1つひとつの音を豪華に仕上げた結果、音の洪水が交通渋滞を起こしてしまっている。それはそれで押し寄せるド迫力ではあったものの、マスターサウンドである本作はアンサンブルの構成まではっきりと分かり、“その中で浸る”感覚でいられるのです。これは、1973年当時にFLOYDが描いた意図を正確に伝えているとも言える。デジリマ盤は後年のエンジニアが創り上げたもの。つまり「伝説アルバムが描くべき世界」を原音から解読し、解釈し、演出した音なのです。それに対し、本作の音を作ったのは1973年のPINK FLOYD自身。曲を書き、ステージの空間を肌で感じながら育てていった本人達の感覚が1つずつ組み上げたもの。例えば「Money」の伝説的なイントロ。デジリマ盤は「さあ、あの伝説レジスターが飛び交うぞ!」と言わんばかりなのですが、本作の主眼になっているのは「レジスター」よりも「曲」。もちろん、本作のレジスターも立体的に飛び交いはするものの、バンド・サウンドとの均整が極めて自然。主張しているのは「演出の凄味」より、その効果によって引き出される「曲の良さ」なのです。そして、そのナチュラル感を下支えしているのが無加工だからこそ、そしてマスターサウンドなればこその美しさ。各楽器もSEの1つひとつも立ち上がりから消えゆく刹那まで繊細なヴァイヴが宿り、アタックのピークに歪みを起こすこともなく、超弱音がハイライトで削られることもない。数あるMFシリーズの中でも初期となる1988年にデジタル化が実現したおかげもあってか、その美しさは自然の風景に肉薄するほどの表現力。まさに『狂気』本来の音世界を味わい尽くせるのです。“モービル・フィディリティ”によるCDだからこそ現代まで保持し得た大名盤のマスター・サウンド。今になって現物を手に入れようと思っても、元々が少数限定生産なために困難。その美麗サウンドを1人でも多くの方に触れていただくためのリリース。
Taken from the original US Mobile Fidelity Sound Lab (UDCD 517)from Mobile Fidelity Sound Lab "Original Master Recording" collection (42:59)
1. Speak To Me 2. Breathe 3. On The Run 4. Time 5. The Great Gig In The Sky 6. Money 7. Us And Them 8. Any Colour You Like 9. Brain Damage 10. Eclipse