怒涛の10人編成からタイトなラインナップとなった、70年代マイルス・バンドのなかでも最も人気の高い73年バンドの伝説の来日公演中、誰もが聴きたい名曲「ブラック・サテン」が唯一セットインした幻の福岡公演が、これまで覆われていたベールが剥がれた高音質で甦った決定版で登場!!1973年の日本ツアーは、ツアー前日にNHKのスタジオで4時間ぶっ続けてリバーサルをおこなうなど、マイルスがこのツアーに対する力の入れようは並々ならぬものだった。ここで1973年(昭和48年)日本ツアーの日付と場所を整理しておこう。6/16 北海道厚生年金会館 6/19 東京新宿厚生年金会館(1st&2nd) 6/20 東京新宿厚生年金会 (1st&2nd) 6/22 東京新宿厚生年金会館 6/23 名古屋市民会館 6/25 京都会館 6/28 福岡市民会館 6/29 広島郵便貯金ホール 6/30 大阪フェスティヴァルホール(1st&2nd) 7/1 金沢観光会館 7/3 新潟県民会 因みにS席のチケットは4800円と、同時期に来日したスタン・ゲッツ(3000円)セシル・テイラー(2500円)に比して高額だったにも関わらず、あっという間に完売した。となっている。 1975年の日本公演に比べまだまだほとんどの音源が出ていないが、これはカセットデッキ等の録音機材の普及の差からくるものだろう。 これまで、ラジオとテレビで放送された6月19日と20日の東京新宿厚生年金会館以外は未だ6/28の福岡市民会館でのライヴが出ているだけで、しかもこの福岡公演、聴けるだけでも儲け物な代物で、当時のPAシステム、会場の音響設備など諸々、現在と比べると雲泥の差があり、この時代のエレクトリック中心のロック・コンサートを体験した方なら分かると思いますが、とにかくベースの音がデカくボワ〜んとしたモヤがかかったような音像が当たり前だった。残念ながら福岡公演はそのものでした。しかし今では音響環境が進化したように、様々なテクノロジーの進化に伴いそのような音源が一聴して分かるほど音質、バランス、全てにおいて改善される(もちろんプロ級でないと不可能)ようになり、この1973年6月28日福岡市民会館公演にも遂にメスが入り、これが本当にあの福岡なの?まさに眼から鱗!さぁ、聴いてくれ!!収録曲は全4曲で、まずはファースト・セットから「ブラック・サテン」から始まる。1973年の日本公演は先述の通り3公演しか陽の目を見ていないので確かなことは言えませんが、この「ブラック・サテン」は1972年に録音され、ロニー・リストン・スミスのキーボードをフューチャーした10人編成でこその(アレンジ)楽曲だったため、この7人編成の1973年マイルス・バンドで演奏されること自体珍しく、一応来日公演ではこの福岡だけでセットインされたといわれています。そういえば、当時発表されていた来日メンバーにロニーもアナウンスされていた。来日公演パンフレットもそんな感じだった。ということは、来日直前までロニーは在籍していて直前に脱退したのかもです。既発盤ではこの楽曲特有の異様な雰囲気だけはわかったが、今回のアップデートで狂喜乱舞な様がハッキリと現出されている。残念ながら後半だけの収録ですが、このラインナップでの「ブラック・サテン」しかも日本での演奏、いやがおうにも興奮する!他の3曲はセカンド・セットからの収録で、特にかなり長尺で演奏される「イフェ」が素晴らしい。なにせマイルスが一体いつまで続くのか?っていうくらい超ロング・ソロを吹きまくりなのです。足でペダルを踏みながらワウ・ワウとエコーのかかったトランペットをああもしたり、こうもしたりと下向きにして吹く姿が浮かんでくるようだ。その後の「プレリュード」「ジンバブエ」と聴くと、1973年の来日公演はマイルスの音楽がひとつのピークを迎えていたことがわかる。九ヶ月前の「イン・コンサート」より音楽は格段に進歩を遂げ、より少ないメンバーながらより多彩な表現がされるようになっている。マイルスを筆頭に7人が生み出すリズムは、ロック、ブルーズ、ファンク、アフロなど様々な要素を含有し理想的なポリリズムを現出している。後にマイルスは、「ライヴでは、このグループが一番よかった。それまでいろいろなプレイヤーや楽器を取っ替え引っ替えしてきたが、ワーキング・バンドとしてオレが思うサウンドに一番近かったのがこのバンドだ。」と述懐している。1975年の日本公演に比べてまだまだ音源の少ない1973年の来日公演、取り敢えず現在唯一聴けることが出来る地方公演が嬉しいアップデート決定版にて入荷しました!!